タイトルが思い浮かばない。
まあいい。
自分の事をブログを書こうと思って書くときは大体「エッセイを読んだ後」である。
非常にミーハーだなと思いながら書いている。
久々に新品でエッセイを買った。福岡晃子さんの随筆『おかえり』である。
チャットモンチー関連で買ったものなら高橋久美子著の『いっぴき』ぶりのエッセイ。橋本絵莉子著の『ぷらいば誌3』も買いたいが財布との相談がなかなか終わらない。
チャットモンチーのかっこよさを知ったのも福岡晃子さん(以下あっこびん)がきっかけである。『CHATMONCHY BEST ~2005-2011~』の初回限定DVDに収録されている"Last Love Letter"。本来セクシーに感じそうなホットパンツばりの短いズボンで客前まで行き、仁王立ちで鬼のような威圧感を漂わせながら乱暴に始まったこの曲に心を奪われて僕のチャットモンチーファン人生は始まった。チャットモンチーはガールズバンドや3ピースバンドで括られるものではなくれっきとしたロックバンドだと強く感じた。
この『おかえり』にチャットモンチーの話はほとんどない。このエッセイで多く語られているのはチャットモンチー加入前、チャットモンチー完結後がほとんどである。
読み終えてつくづく実感したのはあっこびんの言葉が好きだという事。価値観を「匂い」に例えたり、ため息を擬人化していたり。158ページ2行目からの話は以前テレビ番組で甲本ヒロトさんが語っていた話に通ずるものがあるなと思ったりした。
チャットモンチーはメンバー三人がそれぞれ詩を書く。Gt&Voの橋本絵理子は生々しいロックな詞、Drの高橋久美子はファンタジーや物語のような詞、そしてBa福岡晃子はその間の「詩」というイメージである。曲になったときに好きなのがあっこびんの歌詞が多い。
チャットモンチーとして語った章「伝説」には何度か辛くなったところもあった。2011年にチャットモンチーにハマり、リアルタイムから少し遅れて追っていく間にもチャットモンチーはどんどん進み続けた。
シングル『ときめき/隣の女』発売時にようやく追いつき、当時のラジアンリミテッドであっこびんが出題した「初めて行ったライブは誰でしょう」というクイズに「ミッシェルガンエレファント」と答えてゲットしたサイン入りポスターは恐れ多くてずっと保管している。
その時点で周りはチャットモンチーを3ピース時代のまま思い出にしまっていた。ライブで会う人たちが「チャットモンチーはいまでもずっとチャットモンチーだ」と話すことを嬉しく思っていた。『CHATMONCHY Tribute』でペペッターズが"こころとあたま"をカバーした裏話を聞いた時も同じ気持ちになった。スリーピース期からツーピース期、そしてサポートを入れた6人期、打ち込みを交えたメカ期、武道館でのオーケストラ期に至るまでチャットモンチーの音楽はチャットモンチーであり続けた。
『完結』が発表されてからいくつかの理由が噂されたが、「これ以上の変化をするならバンド名を変えたい」という話を聞いた時は解る気がした。チャットモンチーという名前で活動するにはふたりの音楽が広がりすぎたように感じた(個人の感想)。
あっこびんがチャットモンチーの、橋本絵莉子のファンだったのは"裸足の町のスター(『誕生』収録)"を聴くとよくわかる。ダウンタウンを「相方の面白さを広めるため」と語った浜田雅功のように、チャットモンチーの・橋本絵莉子のカッコよさを世に知らせるために動いていたんじゃないかと思っていた。
エッセイの中で語られた野田洋次郎のブログもことあるごとに読んでいた。メジャーデビューが全く同じ日という、実はベボベよりも同期なRADWIMPSの野田洋次郎がチャットモンチーのことを話したこのブログは、同じ時間に音楽業界を戦ったからこその生々しさがあった。67~68Pにわたり綴られた文章はRADWIMPS”独白”の一部と重なった。
チャットモンチーの話は一旦ここまでとして、ほかの話に移る。
あっこびんは唐突にYouTubeを始め、そこでしれっと結婚と出産を発表した(あまりにも「しれっと」だったので複雑な事情かと思っていたが、その不安はエッセイで解消された)。そのYouTubeでも話されていなかった家族の話がこのエッセイにはたくさん書かれている。
このエッセイ内では「豆太」と呼ばれるあっこびんの息子さん(以下豆太くん)はコロナ禍含めたくさんの試練を経験している。星野源『蘇る変態』でくも膜下出血の話があったように、このエッセイではその試練の話が生々しく描かれている。そこで得た気付き、葛藤、闘い方、どれも非常に繊細な文章で書かれており、あっこびんが豆太くんを大事にしていることがひしひしと伝わってくる。
180Pに書かれた「徳島にはなにもない」という言葉は、チャットモンチーのラジオに同郷の後輩として米津玄師が来た時にも語っていた。米津玄師が徳島でどうやって音楽を知っていったのかをすごく不思議そうに訊いていたのを覚えている。
文章中ではこの言葉を(明確にではないものの)否定している。というよりそれぞれの「あるもの」と「ないもの」を分けて、自身の考え方の変化と照らし合わせている。
少し自分の話になるが、チャットモンチーの本当のラストとなった「こなそんフェス2018」のあと、那賀町という徳島の町のバスツアーに行った。失礼な言い方をすれば本当に田舎という印象だったが、地元ではなかなかない、エッセイから引用するなら「ゆっくりと流れている」時間を過ごした。
あれから6年、めでたく中途採用で社会復帰したもののフリーター時代に無かった複雑な会社事情と向かい合って折り合いをつけ、自分だけではどうすることもできない大きな不安を前に絶望しながら情報社会を生きている。それが正解とは思えないままその道を踏み外す勇気もなく生きている。
この時代にもどこかでチャットモンチーの音楽は響いている。
届いています。あの「今日」のあなたたち。
あっこびんのライブは前回"AMIYAMUMA"をひっさげたライブの京都公演(世武裕子との対バン)に行かせてもらった。今度は大阪の「おかえり」発売記念イベントに行く予定。お邪魔します。
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