あなたは今日、14:46に黙祷をしましたか?
された方に伺います。その黙祷は「意味」をもってしましたか?
今日は東日本大震災の日でした。しかし、震災から8年が経ち、中には「今日」を強く主張することが正解なのか疑問を持たれる方もいます。自分もそちら側の考えでした。
例えば卓球選手の福原愛さんは自身のブログにこう綴っています。
震災が起きてから3月11日はほぼ毎年ブログを更新していましたが、去年は更新しませんでした。
3・11の日じゃなくても心の中では常に想っているのに、ブログを書かなきゃいけないようなそんな風潮に疑問を感じたからです。
毎年同じようなことを書いている気がして、何を書いたらいいかわからなくなりました。
ROCKバンドのRADWIMPSは2012年から毎年3月11日に曲をYouTubeに投稿していましたが、2017年は曲を投稿しませんでした。その前年に投稿した楽曲『春灯』のコメントにはこう綴っています。
来年以降も曲を作るかはわかりません。当たり前にやるかもしれません。ただ3月11日の、あの悲しみだけを切り取って一つの作品を作ることに少しずつ、違和感が生まれてきました。どの楽曲にも、含まれているように思うからです。逆にこの5年の間にも悲惨な事件、事故、大きな喜び、様々ありました。そしてそれらに常に影響されながら音楽を作っています。すべて混ざり合って「今」を生きている自分の音楽になっています。
自分にもこういった疑問がありました。結果、2018年にそれまでいつも行っていた黙祷をしないという試みをしました。それでなにか変わるのか分かりませんでしたが、わからないからこそ試すべきだと思い、2018年の3月11日の14:46は動画編集をしているうちに過ぎました。
結果、大きな変化がありました。激しい罪悪感を覚えたのです。それは軽いものではなく、この一年でたびたび思い出しては罪悪感に苛まれました。
今日、自分は黙祷をしました。失礼ではありますがそれは被災者のためではなく自分のために黙祷をしました。これで昨年の行為が許されるわけではありませんが、自分にとってマイナスにはならないと思います。
改めて。
震災の被害に遭われました方々のお見舞いを申し上げますとともに、被災地の一刻も早い復旧をお祈り申し上げます。
RADWIMPS 2019.3.11投稿 『夜の淵』