いい加減ブログ

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"なかよし"の輪、そこに私は入れない

 この事案を忘れないためにも書き留めておこうと思う。

 

※この文章には主観的な意見が多数あり、誤解を招く部分もあるかと思われますので、固有名詞は一切省かせていただきます。

 

 昨年末からとあるニコニコ生放送を観ており、最近まで楽しく見ていたのだが、とあることをきっかけに一気に見る気をなくしてしまった。

 最近仲良くさせていただいてる友人がいるのだが、その人がその生放送でとあるミスをしてしまった。彼も反省しており、一通りいじられて終わったのだが、彼にとってはかなり後悔をしており、一種のトラウマになっていた。

 しばらくして彼の罪悪感もある程度落ち着いてきたころ、再びその事件を掘り返すことが起きた。話をしたところ再び心理的に苦しくなっており、もう見ることはできなくなりそうだという。

 

 この事案は原因は友人のミスであり、それを責められることは友人も理解していた。そして迷惑をかけた方々に謝罪をしたことがきっかけで事件が起きた。

 私が嫌になっているのは彼のミスに対して寄ってたかって責めていた風景がいじめそのものに見えたことだ。『他人の不幸は蜜の味』という言葉があるように、たしかに人を叩いたりするコンテンツは面白いものがあり、だからこそそういった問題は終わることがないのだが、被害者視点に立つとその光景は悲惨なものである。

 自分も今回の被害者が友人でなかったらこの事実に気づけなかったかもしれない。つまり加害者になっていたかもしれないのだ。

 

 ふとリーガル・ハイの特別番組でのセリフを思い出した。医療問題がテーマだったのだが、要約すると

「医療の発展にとって犠牲はつきものである。しかし身の回りの人間がその犠牲になった途端に人は豹変する。『話が違う』と。」

 今回は私の友人がターゲットにされた。彼のミスをネタにし、コメントにはそのミスを責める言葉の数々が。第三者から見てそれは晒上げではなく、ただの『ネタ』である。

 若干話は逸れる。彼はこの生放送を3か月ほど前から見始めたいわゆる新参だ。ROMリスナー*1であったがあるきっかけで投稿をする勇気が出てきたところだった。見えないマナーを理解しきれていない彼の行動は配信者側からしたらイキったにわかにみえたかもしれないが、彼にとっては大きな一歩だった。そしてその進歩を配信者側が踏みにじった結果となった。

 

 ちなみにこの配信者は配信歴10年前後のベテランである。彼の周りには信頼できる仲間も多数いることだろう。実際コメント過疎のこの時代としてはかなりの量のコメントが放送上では流れる。配信者にとって私の友人は氷山の一角のようなものだろう。『彼のミスをネタにすることで盛り上がる』ことと『彼のミスを簡潔に済ませ、別の話題を行う』ことだと前者の選択が仲間の間では正解だろう。

 しかし、その経験からもっと他の選択肢は浮かばなかったのだろうか。別の話題にしても盛り上げる技術は十分あるだろう。前に話をしていた「新規リスナーを獲得したい」という気持ちが本当なら、どんな人間かわからない新参の晒し上げよりもっとほかの方法もあっただろう。というより新規リスナーを晒し上げて結果そのリスナーが離れ、「あの人はこの場には合わなかったんだろう。やっぱり昔からのメンバーでやるのが一番」という結論にいきたいならさっさとコミュ限にでもしてくれ。

 

 友人には内緒でその放送内における長ともいえる人には最小限のお願いをしておいた。一応了解の返答はいただいたが、本当の回答は次回の放送によって決まる。ここでまたネタにしたらそれが最後になるだろう。大事な友人と仲良しグループ。私は前者を選択する。


狭心症 RADWIMPS MV

*1:コメントを特に送ることをせずに配信を観る人のこと