いい加減ブログ

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散文

 記事の編集画面の右下には「18:37 2021/03/11」と出ている。

 いうまでもなく、今日は3月11日であり、東日本大震災から10年たった日である。

 

 さまざまな場面で「あれから10年」と言われている。

 

 しかし、僕にとってこの出来事はいつまでたっても消えないでいる。

 言葉にすることは難しく、言葉にする必要があるのかももはやわからないが、ここに残しておく。

 

 

 

 10年前、当時中学二年生。三年生の卒業式を見送り、後片付けをし、家に帰った。

 当時近畿地方に住んでいたが、マンションの比較的高い部屋に住んでおり、わずかながら揺れを感じた。震度2,3ぐらいだろうか。

 やや長めに感じたが、地震の多い日本なので机の下に隠れて収まるまで待っていた。

 地震が落ち着き、母とテレビをつけ、その映像を目の当たりにした。

 異常だった。

 CGのデモンストレーション映像でもなんでもなく、街に津波が押し寄せ、吞み込まれた。

 あの映像は今でもすぐに思い出される。

 母の「しっかり見ておきなさい」という言葉も覚えている。

 阪神淡路大震災震源地に近い位置で被災した母が「地震の恐ろしさを知らせるもの」として教えておきたかったのだろう。リアルタイムで起きているその状態をちゃんと見ておきなさいということだったのだと思う。

 

 毎日報道される災害情報

 徐々に増えていく行方不明と死亡者数

 自粛ムードにより次々消えていく娯楽番組と企業CM

 

 コロナ禍で「2011年みたいだ」と言われたように、娯楽が次々姿を消した。のちに不謹慎厨と呼ばれる力が猛威を振るった。

 

 覚えていることのひとつに、フジテレビが行う夏のイベントのテーマソングにゆずが"LOVE & PEACH"を提供した際に『自粛ムードだけど、楽しいイベントまでそういう雰囲気にする必要はない』といったコメントをしていたのを覚えている。そこまでずっと重い雰囲気が続いていたのだ。

 

 2011年から、1年が早くなった。

 当時だらだらつぶやくだけだったTwitterが意味を持ち始めた。

 募金が別のことに使われた。

 仲良くなったフォロワーが石巻市出身であることを知った。

 BUMPのライブで宮城に行き、そのフォロワーと初めて会った。

 そこで"トーチ"を聴いた。

 

 震災関係なく、いろんなところで震災とリンクし、当時がフラッシュバックした。

 フォロワーの存在によって自分の思いが『どうせ傍から見た意見』なんじゃないかと思わされ、発言することを躊躇するようになった。

 

 この間、また東北で強い地震があった。

 時刻は夜11時頃だったが、状況は2011とほぼ一緒だった。

 軽く揺れる家(今回自分は気づかず、母からのLINEでリビングに向かった)

 母と見たテレビ

 震源地は東北

 

 そのフォロワーは夜勤だったようで、当時をフラッシュバックし、おびえながらも無事であることをツイートしていた。

 

 別のフォロワーが「そうか、あれから10年か」とつぶやき、忘れている人がいることに驚いた。

 主観で『あれだけの出来事を忘れる人がいるのか』と思ってしまった。

 人によっては対岸の火事なのだということに衝撃を受けた。

 

 自分はこれからもこのことは忘れないだろう。

 だが、これからも伝えていくような立場なのだろうか?

 

 

 わからない。

 

 これからも3.11に限らず思い出していくだろうが、感情を発信するかは解らない。どうしたらいいのかもわからない。