非常に驚いたことがあった。Twitter上で僕のことを褒め称える人がいたのだ。
にわかには信じられなかった。僕は入社式後初の研修に遅れ、それから一週間もしないうちに(昼休憩後ではあるものの)再び遅刻したほど根底がなってない人間であるからだ。鬱も完治はしておらず、仕事で少しでも詰まるとパニックになってしまう人間であるからだ。
そんな人を何故、と思ったが理由はなんてことない、『そういった部分をつぶやいてないから』だと気付いた。
Twitterやブログといったものは、もともとあった感情を表現する際に『文章化』というフィルターを通す。その通す作業の間に『この言葉は無駄だな』『この批判は余計だ』などの推敲がされる。結果出来上がった文章は人を傷付ける要素が少なく、自分の汚れた部分が少ないものになる。だからだと思った。
wowakaさんの死の際に感情をそのままぶつけた記事を書いた。
覚えている限りでもひどく主観的で醜い文章だったと思う。これが本来の自分なのだと戒めて生きていこうと思う。
p.s.
でも嬉しかった。これまでの色んな事が少し報われた気がした。ありがとう。