先ほどまで『志村正彦』についての記事を書いていたのだが、書く手が止まってしまった。自分に書く資格があるのか迷ったからだろう。
功績や才能は自分より知識のある人間がすでに述べているだろうし、となると自分はここで何を伝えたいのか分からなくなった。
いいや。不格好なままありのままで書こう。
志村正彦はフジファブリックのボーカルだった。デビュー時から才能を多くの人に認められ、特に志村が音楽を志すきっかけとなった奥田民生とは師弟のように可愛がられた。
2009年のクリスマスイブ、彼は突然この世を去った。誰も想像していなかった。原因も不明。CDJは急遽不参加になり、当初組まれたセットリストをもとに過去のライブ映像が流された。
毎年この日になると志村のことを思い出す。印象的な日だからなのかもしれないが、フジファブリックの熱狂的なファンというわけではないのに必ず思い出し、当時の曲を聴き、考える。
今年は23日と24日をあるニコ生主の配信で跨いで迎えたのだが、その方が配信中に突然『Birthday』をかけた。前から邦ロック好きとは聴いていたが、こういった形でフジファブリックの曲がきけるとは思わず、少し泣いてしまった。
それを機に生主の方をフォローさせていただき、確認すると志村のことをつぶやかれていた。ニコニコ動画ではネット音楽以外の情報は薄いと思っていたのでこの出会いはうれしかった。自分以外にも志村正彦のことを覚えている人がニコニコ動画にいるということがうれしかった。
さらに別のボカロPの方が志村と同郷という事も知った。志村の話はめったにしなかったので知らないのかと思っていたら最近話題に出してくれた。
志村正彦さん。ずっと誰かがあなたのことを覚えています。そのことだけでもあなたに伝えたいです。どうかお元気で。