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<文字ラジオ>嗚呼、情報社会

 今、日本は誰しもが認める情報社会である。これはかなり失礼な意味で言わせてもらう。

 ネットを開けば、閲覧者を獲得するために誇張に誇張をされたタイトルの記事が並び、SNSでは裏付けのないツイートが拡散され、少し棘のある発言をしたら即座に叩かれ、誰しもが自発的な発言を避け、誰かの発言に「そうだそうだ」と賛同することで自分の意思を発し、元の発言が批判されると「いや、あくまでその人の発言だし」と途端に意見を変えて姿を隠す。

 「そんなことを言ってるお前はどうなんだ」といわれれば、「俺だってそうだ」としか言いようがない。ためになりそうだと思ったら事実確認せず拡散し、興味を持ったら記事を読む。自発的な発言を避け、賛同したら拡散で意思表示をする。

 

 ずっと思っていたのだが、今回記事にしたのは「新潮45」の休刊がきっかけである。

 休刊の際、こんなツイートを目にした。

 つまり、「数少ない少数派の意見を述べられた月刊誌」だったのだ。もちろんLGBT批判は許されるものではないと思う。記事を述べた人はもちろん、それを掲載しようとした編集者も許されるものではない(ここも世論のように述べているがあくまで持論である。毎度訂正するのも邪魔だと思うので以後のフォローは割愛させていただく)。

 

 では他のゴシップ誌はどうか。まぁ目くそ鼻くそだろう。「文春砲」と崇められている週刊文春だって捏造だらけだろう。今回新潮45は叩くきっかけに選ばれてしまっただけで、どこもそんな変わらないだろう。

 

 逆に考えてみよう。「真実しか載せないゴシップ誌」があるだろうか?自分はあるわけがないと思っている。そんなものがあればとっくに世間から大きく認知され、政府かどこかから圧力がかけられたり、虚偽の内容を真実にするために買収されたりしているだろう。

 だから結果ほとんどのゴシップ誌は大きな社会問題の事実も、人気タレントのプライベート流出も、100%真っ赤なウソでできた記事も同等に扱い、横槍に刺されて死ぬことのないようにやりくりしているのだろう。なんでこれで未だに発売されているのかは理解できないが・・・。

 

 ゴシップ誌はまぁそれとして、では他の情報提供媒体は?

 老若男女問わず多くの人が情報源として見るテレビは、根拠不明のスポーツ紙を取り上げ、ネットから借りパクした動画を「情報者提供」と名乗り、あげく全く異なる動画を「独占映像」と流す。

 新聞だってあくまで誰かが書いた記事である。偏向報道があったってなにもおかしくない。

 SNSは問答無用。最初に書いたとおりである。

 

 では真実は?「真実はいつも一つ」と言われるように、真実は「ひとつだけ」確実に存在する。しかし文字にしたり人から聞いたりすると誰かのフィルターを通ることは避けられない。その時点でそれは「真実」ではなく「記事」であり「意見」である。となると、真実は「自分が自分の目で見たもの」である。

 では自分の目で見たもの、今日スーパーに置いていたものでも思い出してみよう。・・・曖昧である。真実とはとても脆いものなのである。

 となると真実は手に入れるには限りがあり、かつ脆い。真実だけでは情報が少ないため、意見や記事といった「誰かのフィルターを通した"情報"」を得ていくしかない。それがどれだけ真実に近いものかもわからないまま、多くの情報を得て生きていくのである。

 

 数少ない希望は、「ウソの記事が発見されやすいこと」だろう。明らかにおかしい部分があるとそこを教えてくれる情報は発信されやすくなったと思われる。それが正しいかどうか・・・となるともうパンドラの箱である。

 

 この「情報社会」と書いて「クソ」とでも読めそうな現代社会。皆さんにはなるべく「世論」ではなく「真実に近い情報」を取捨選択時に間違えないで生きてほしい。

 

それではここで一曲。Mr.chirdrenで「フェイク」

http://j-lyric.net/artist/a001c7a/l0098d3.html

フェイク

フェイク