動画を投稿しました。
タイトル通り、前回投稿した動画の高画質版です。
今回は「動画を投稿したこと」ではなく「新作を投稿しなかったこと」について話をさせていただきます。
全く知らない人のために『すまぷ』についてざっくりとした説明を。
『すまぷ』とは、2016年に解散したあるグループに関する動画を、そのままグループ名でタイトルやタグにつけてしまうと動画が荒らされたり削除されやすくなってしまう可能性が高まるため、代わりにつけられた名称です。
今回はそんなニコニコ動画内の「すまぷ」のファンに向けてお話しします。
話を戻します。
昨年の同日、僕はMADを投稿しました。
本当は今年も新しい動画を投稿するつもりでした。メドレーもMADも案は沢山あり、製作の時間もなかったわけではありません。
では、なぜ新作を製作しなかったのか。
答えは簡単「面倒くさかったから」です。
えぇ、おそらくここでこの記事を読むのをやめる方も多いでしょう。承知の上です。
今回は動画投稿者として、伝えておきたいことを述べます。
動画編集などの作業は決して楽ではありません。企画し、構想し、素材となる映像を集め、それを慣れない作業で音と合わせ、完成したもののチェックをし、微調整を重ね、ようやく完成となります。このMADも上記の工程を行い、結果約半年の期間を経て、それでも納得いっていなかった部分を妥協して投稿しました。それが今回投稿した作品の低画質版でした。
そして、僕は面倒くさがりです、この記事もここまで書くまでに3回ほど飽きました。
そんな面倒くさがりの自分が半年も飽きずにひとつの動画を作れた理由は『面倒くささを上回る熱意があったから』にほかありません。
個人的にはそれを「天秤理論」と考えています。まあそれはいつかしっかり書くとして。
動画などの作品を作る動機なんて簡単なものです。「いま頭に浮かんだものを形にしたい」「自分の作品を見てもらいたい」「作品を通じて自分を知ってもらいたい」など。
しかし、「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、その動機はじょじょに勢いを失い、反比例するように大きくなっていく「面倒くささ」が重くなってその「作りたい気持ち」より「作りたくない気持ち」が重くなった時、動画の製作は止まり、作品は再び勢いを取り戻すまでずっと未完成で日の目を見ることのないまま葬り去られます。
中には最初の熱意のまま動画を完成させる人も少なくないですが、面倒くさがりで飽きっぽい、さらに締め切りの無い動画制作なんてそれはそれは液体窒素に入れられたようにすさまじい勢いで冷めていきます。
ではその勢いを覚ませないためにはどうすればよいか。そこは「動画を楽しみにしている人に答えるため」や「この動画に反応してくれる人のため」といった、第三者への期待などがあります。
はっきり言います。『すまぷ』の動画に関してはもう動画制作に対する意欲も、意欲を増加させてくれる期待も持てません。
ここ最近、すまぷのタグで動画を2つ投稿しました。
再生数とコメント数をご覧ください。上が再生数402に対しコメント数1、下が再生数389に対しコメント数7(うち作品に関する意見が3)(ブログ製作時点調べ)。
もちろんコメントしていただけるのは本当にありがたいです。前に書いた通りこういった言葉が次回への制作意欲になります。ですが今は再生数に対するコメントの割合が1%を切っている状態では面倒くささを上回ることができません。コメントしてくださった方々には申し訳ない気持ちですが、どうしようもないのです。
お願いします。コメントをしてください。批判、意見でもなんでも構いません。「うぽつ(※)」でなんらかまいません。それが投稿者の制作意欲の糧となります。よろしくお願いいたします。
(※)「うぽつ」とは「uploadお疲れさまです」を簡略化した「up乙」をローマ字化したものです。わずか3文字ですがこれだけでも投稿者への感謝を示せます。
もうひとつお願いがあります。動画を投稿してください。
9月9日、彼らの記念すべき日、投稿されたのは僕の動画一本のみでした。
もう動画編集は難しいものではありません。windowsにもMacにも動画編集ソフトが備わっており、Aviutlというプロも使うフリーソフトだってあります。長くなくて構わない。動画を投稿してください。
彼らの残したものを、平成と同時に終わらせないでください。
どうか、もう受け身の体制でいないでください。
「言わせておけ」で済ませないでください。
動いてください。
SNS、新事務所、ネットテレビなど、ついていくので精一杯かもしれません。
それでもなんとかがんばって、もう少し動いてください。
どうか、この記事に行きつき、ここまで読んでくださった方があらゆる動画にコメントしてくださることを祈っています。
長文失礼しました。